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2016.01.25 20:07
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半歩前へ! 再び

昔のブログです・・・


あれこれ考える前に「心」だけをまず半歩前に出す・・・周りと整合を取りながらも半歩くらい前に置く・・・「身体」はまだ動かない・・・スポーツでも仕事でも困難なことに直面した時も「心」は既に半歩だけ前に出ている状態・・・前に向かおうとしている・・・準備をしておくのと似ているようで違う・・・違いは「考えない」こと・・・もう始まっている・・・だから上手くいかなかったらと考えることなく、上手くいくに決まっていると信じているのがいい・・・以前にそんなことを書きました。ご興味のある方は時間のあるときに『半歩前へ』を読んでみて下さい。

ホームページを始めて1年が立ちました。還暦を前にふとホームページを作ってみようと思い立ったとき、僕の心はきっと「半歩前」にあったのでしょう。上手く作れるのか・・・作っても誰も見てくれないのではないか・・・そんなことは一度も考えませんでした。出来上がった後のイメージだけは持っていましたが、どうやってつくるのか・・・やっぱりホームページビルダーとかを勉強せなあかんのかと少し憂鬱・・・。しかし、心が半歩前にあると物事は自然といい方向に進むのです。

そんな時に縁あって作成支援をしてくれる整体の先輩に出会いました。作成に当たって色んなことを指導してもらい、お陰様で無事ホームページが出来上がりました。僕はこう思うのです・・・「半歩前の自分」が「実際には半歩後ろにいる自分」を前に引っ張ってくれる・・・何かをやろうと思った時、まず無条件で心を半歩前に置く・・・これは本当に大切なことであると。

経験があって自信があることはほっておいても前に出れます。経験がない・・・自信がない・・・でも心を半歩前に置くのです。自信がなくても自分を信じるのです。そうやってやってみて駄目ならやめればいいのです。しかし本当に心が半歩前にでて始めたことはまず失敗はないのではないかと思うのです。何故なら、最初から上手くいくイメージしかないからです。努力してそう思うようにするというのではありません。またいつも自分に言い聞かせるのでもありません。心を半歩前に置くということは大変簡単とも言えますが、同時に大変難しいことでもあります。考えて出来るものではなく、また考えないでできるものでもない・・・上手くいくイメージとその時の心を描いて無条件で自信を持つ・・・そんな感じかも知れません。

なかなか説明が難しいと思っていたら、愛読書の『鬼平犯科帳』に少し同じ匂いのする場面がありました。さすが池波正太郎先生・・・文章力が並はずれています。以下にちょっと紹介・・・

鬼平が不覚にも十人以上の屈強な刺客に襲われて命が危ない場面で、
『平蔵は国綱の大刀を正眼から下段のかまえにうつしつつ、
 (おそらく浦部は逃げ切れるだろう)
 と、おもい、にやりと笑って見た。
 その笑いが平蔵自身を不敵なものにした。
 平蔵は曲折に富んだ四十余年の人生経験によって、思案から行動をよぶことよりも、
 先ず、些細な動作をおこし、そのことによってわが精神を操作することを体得していた。
 絶望や悲嘆に直面したときは、それにふさわしい情緒へ落ちこまず、笑いたくなく
 とも、先ず笑ってみるのがよいのだ。
 するとその笑ったという行為が、ふしぎに人間のこころへ反応してくる。』
(鬼平犯科帳3 文春文庫 池波正太郎より)

これは「半歩前へ」の極致のような極意ですのでとても鬼平のようにはいきませんが、さてもうすぐ2015年が始まります。
来年もとにかく半歩前へ!


2014年12月30日(火) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
2016.01.25 19:58
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部分は全てを知っている

昔のブログです・・・


3Dプリンターなるものが一般的にも使用できるレベルになってきています。それを使って手製の銃を作った馬鹿者は論外として、欠損した骨を正確に製作するなど正しい医療の場での利用は是非期待したいものです。

3Dプリンターとは少し違いますが、ホログラムという三次元立体画像はご存知の方も多いと思います。ホログラムはレーザー光線を使って「物体光」と「参照光」の干渉を利用した干渉縞を記録したもので、その製造技術のことをホログラフィーといいます。
ホログラフィーの原理については専門の情報に譲りますが、私が面白いと思うのはこのホログラフィーには「部分」と「全体」が共存していることです。

例として「1個のりんご」を普通の写真で撮ったとします。その写真を例えば9等分に切ったとしますと、9枚の写真はそれぞれ元の写真の「その部分だけのりんご」が切り取られたものになります。これは当たり前ですね。
しかし、これがもしホログラムであれば9等分に切った9枚それぞれに「1個のりんご」が立体的にあるということです。正確には切り取った場所それぞれに見る角度は少しずつ違いますが立体的な「1個のりんご」が記録されているのです。

普通の写真で考えた場合、9等分したそれぞれの写真は「部分」に相当し、それらをつなげると元の一枚・・・すなわち「全体」になります。「部分」が「全体」の一部を構成しているという普通の感覚のことです。
それがホログラムの場合は9等分したそれぞれの写真は、元の一枚を切り取ったのだから「部分」であることは間違いありませんが面白いことにその「部分」である一枚一枚にも「全体」である元の一枚の情報があるというのです。
このことは原理的には全く違いますが、私は感覚的に整体で扱う際の人間の身体にすごくよく似ていると思うのです。

例えば症状として「めまい」があったとします。めまいは通常は耳に関係が深いです。しかし耳自体の器官には形体的な異常がない場合でも「めまい」が起こったりします。それは視床下部の働きが悪いからかも知れません。それに脳脊髄液の循環が悪くて側頭骨の動きが制限されていることが原因かも知れません。いやそれ以前に首と肩が自分では気が付かなくてもかなり凝り固まっていることが原因の場合もあるでしょう。それどころか過ぎし日に受けた嫌な出来事が大きなストレスになって心を痛めてしまったのが本当の原因かも知れません。

そうやって考えていくと、「耳」という「部分」だけがおかしいのではなく、あらゆる心と身体の不調が「耳」に影響を与えたと考えられます。そして影響を受けて辛い「めまい」を発症してしまった耳は、こんどは気分を憂鬱にしてストレスを作ってしまう・・・そのストレスを回避しようと交換神経を優位にしていく・・・しかしそれがまた次の不調を呼ぶ・・・。
全ての原因は全ての原因に関係していると思うのです。

「耳」という「部分」は心と身体という「全体」からくる不調の情報を全て持っている、そして「耳」という「部分」の不調は必ず心と身体という「全体」に影響しているのではないでしょうか。これはもちろん耳だけでなく、手の痺れでも頭痛でも、膝の痛みでも全て同じことが言えると思います。ですから特に慢性的な症状の場合は痛みなどがある部分だけではなく、「心」と「身体」を対象に施術することが大切だと思うのです。

自己治癒力が高い人は一晩寝ただけで「部分」の不調があっても、その「部分」が持っている「全体」の情報に調和して、「全体」の力でそれを治してしまえるのではないでしょうか。
言い換えれば、不調になって回復できない「部分」は孤立してしまって、その「部分」が本来持っているはずの「全体」の情報を取り出せなくなっているに過ぎないように思えるのです。

私が目指している整体は、底上げした「自己治癒力」の使い方をその人の「全体」に委ねることによって、その人の心と身体だけが知っている一番優先度を上げるべきものから無理なく回復させていく・・・そんな整体です。
「耳」に触れただけで心と身体の不調が全て分かる・・・そして「耳」に触れているだけで心と身体の全ての不調を回復させる・・・未だ見たことはありませんが広い世の中にはそんなレベルの整体師がきっといるのではないでしょうか。


2014年5月14日(水) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
2016.01.25 19:56
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宇宙の一員

昔のブログです・・・


水が液体の状態で存在していることが期待できる惑星が、約500光年のところにあることを米航空宇宙局(NASA)が発見し、18日、米科学誌サイエンスに発表したというニュースがありました。
大きさは地球の約1.1倍程度で地球によく似ているそうです。水があって地球によく似ているとなるとそこに知的生命体がいるのではと夢が膨らみます。研究している訳でも何でもなくただ単にそう思うだけなのですが、私は地球以外の生命体・・・エイリアンは必ずいると思っていますのでこういうニュースを聞くと嬉しくなります。

500光年と言えばもちろん想像を絶するくらい遠い距離です。1秒間で地球を7週半する光のスピードで500年かかるのですからとてつもなく遠いと言えます。しかし同時に宇宙の規模で考えた場合、かなり近いとも言えると思います。太陽系が属している銀河系は直径が約10万光年あります。銀河の定義にもよるようですが、銀河系と同程度の規模で一番近いアンドロメダ銀河は地球から約239万光年彼方にありますのでそういった宇宙規模で考えるとかなり近いと言えそうです。

「エイリアン」と言えば、学校を卒業して最初に就職して東京にいたとき、休日に友達と「映画でも観るか」と観たのがたまたま上映していた「エイリアン」という映画でした。何の予備知識もなかったから余計だったのかも知れませんがめちゃくちゃ怖かったのを覚えています。あの恐怖と絶望感・・・何度のけぞったか分かりません。そんな怖いエイリアンは願い下げですが、普段私がこんなニュースを聞いたときにイメージするのは、我々人類と同じように楽しんだり、悩んだり、笑ったり、悲しんだりしているエイリアンがいるのではないかということです。

無限と思える広大な宇宙の500光年彼方に、「今日は天気も悪いし仕事嫌やな」と思いながら満員の通勤交通機関に乗っているエイリアンを想像します。仕事は忙しいし、家に帰ればまたいろんな用事が待ってるし、「ああどこか温泉でも(温泉もきっとあるはず?)行ってのんびりしたい」・・・ということを考えながら窓の外をぼーっと眺めている・・・そういうことをイメージしていると「地球でもあんたと同じような悩みは誰でももってるよ」「でも苦労があればそのうちいいこともある」・・・「だからあんたもあんまり肩(肩はないのかも知れませんが肩に相当するところ)の力を抜いて」・・・と言いたくなって日々小さなことで悩むことないなと思えてきます。

私達は広大な宇宙の中の銀河系の中の太陽系に属する地球という星の住人です。間違いなく宇宙の一員です。「何故我々は存在するのか」の答えは相当に難しいですが、宇宙の意思であることは間違いないと思います。

整体において、「中立位の整体」や「頭蓋仙骨療法」で施術をしていて脳脊髄液の循環リズムと同期がとれたとき、宇宙とつながっているように感じます。ちょっと大げさでしたね・・・でも宇宙の一員であるからそれは当然なのかも知れません。ある意味それは人が生命活動を開始したときから刻み続ける「第一次呼吸」を通して宇宙とつながっているとも思えるのです。
そうやって宇宙空間に共に漂っているような気持ちで施術していると、私自身もゆったりとしてきます。それは施術される方も私も共に宇宙の一員になって、宇宙が目指している『秩序』に静かに向かっているように思えるのです。

整体が取り戻そうとしている「心」と「身体」の『秩序』もまた宇宙と深く関係していそうですね。


2014年4月21日(月) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
2016.01.13 09:13
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創造せよ

昔のブログです・・・


少し前に産経ニュースに載っていた「鴨居羊子」という方の記事をネットで読んだのですがご存知でしょうか。大正14年生まれの行動力溢れる女性で、後に斬新な下着デザイナーとして注目された人です。その人が下着デザイナーとしてデビューする前にやっていたある夕刊紙の新聞記者時代の話で、当時はまだ25歳くらい・・・まだかけ出し記者だったときの話です。

社会部記者として毎日悪戦苦闘しているとき、先輩の新聞記者がこう教えます。
『火事がいつどこで起きたか、どれだけ損害をもたらしたかを追っかけるのでなく、なぜ火事が起きるか、大阪で何件の火事が起きたか、防ぐにはどうしたらいいか、それを誰が研究しているか。「明日の生活を予測してクリエートされた記事を追っかけろ」(2014.3.4 産経ニュース)』と・・・。

この言葉は凄い言葉だと思いました。もちろん新聞記者ならそのレベルを要求されて当たり前なのかも知れませんが、私は二つの意味で凄い言葉だと思いました。
一つは、この言葉通りに「記事がただの記録になってはいけない」ということの具体的な指針を述べているところです。そして「明日の生活を予測しろ」とも言うのです。「予測」というのは将来の出来事や状態を前もって推しはかることです。なので「予測」するには色んな角度と深さを兼ね備えた洞察力が必要です。その予測の上でクリエートされた記事でないとプロでないということです。
さすがサムライと称されるベテラン先輩記者の言葉です。

そしてもう一つ、実はこちらの方が凄いと思ったことなのですが、こんな難しいレベルのことを「かけ出し記者」に要求することです。ともすれば私達は「まだ初心者だから」とその人が出来るであろうレベルを想定して「今はこれくらいまで出来ればいいよ」などと言ってしまいがちです。優しさももちろん必要です。しかし本当の優しさはもっと奥が深いように思うのです。
もちろんその人が少し背伸びしたレベルを的確に把握して無理なく、楽しく成長させていくことも大切です。しかし私はこう思う時があるのです・・・「その人の少し背伸びしたレベルを本当に把握できるのか」、そして「そうやって少しずつ誘導する伸ばし方は本当にその人の能力を限界まで引き出せるのか」と。
かけ出しであろうが中堅であろうが、自分が今出来うる最高の姿を要求する・・・そしてその姿になる方法は各人に任せる・・・一見厳しいようではあるけれどもそれでないと人は自分の能力を本当に引き出せることにはならないように思えるのです。レールを全て引くのではなく、その人が自らレールを「創造する」ことが大切だと思うのです。

私は新聞記者ではないので本当の記者の苦労や難しさは分かっていませんが、自分のやっている整体と少林寺拳法でずっと前からぼやっとながらもそんな概念のことを思っていました。それを見事にピタッとくる記事を読んで気持ちがしっくりしたのです。指導する者はかくあるべきであり、指導される者もかく覚悟をすべきだと思うのです。

整体でも少林寺拳法でも「正解」にいたる道しるべを考えてそれを示しながら指導するのもいいのです。しかしそれをするためには本当にその人に合った道しるべを考え出せないといけないことと、その人にはその人のやり方があってそのやり方までも規定してしまうのは結局「自分のやり方」を完全に自分のものにできない場合もあるのではないでしょうか。

ですからどんな初心者にも最初から「自分が出来うる最高の姿」を示して、それにその人が自らの力で立ち向かうのがいいと私は思います。そして指導を乞われたならば、いつでも何度でも付き合うのです。

つい大きなことを書いてしまいました。
ただここで勘違いしてはいけないのは、自分もまた指導される側でもあるということです。少林寺拳法では弟子もまた師なりと言って教えている私の方が得るものが多いのです。整体でも同じで施術をするのは私であっても施術される方に施術を通して「真の健康」を逆に教えてもらっているのです。

最高の技、真の健康を予測して自らの能力を創造せよ・・・これは自分への言葉なのです。


2014年4月6日(日) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
2016.01.13 09:12
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青春とは何だ!

昔のブログです・・・


セイ、セイボー、メンチョ、ヤンコ、ナマ、タウエ、ヤッチョ、クワイ、カワチ、ベートーベン、カンカンボウズ、チロリン・・・まじないの言葉ではありません。これは中学の時のラグビー部員の「あだ名」です。ちなみに「ヤンコ」は私で最後の3つは先輩です。

こんなあだ名で呼び合って毎日真っ暗になるまで練習していた頃が懐かしいです。それぞれのあだ名にはそれなりの由来があるのですが、中には意味不明なものもあります。でも「あだ名」の由来などは関係なくあだ名で呼び合えること自体がいいのです。もちろん先輩以外ですが。。。

もう45年以上前になります。当時のクラブ活動は本当に遅くまでやっていました。多分、いや絶対に何時までとかは決まっていたと思いますが、真っ暗になるまで、ひどい時は9時頃までやっていました。年中そんな時間までではなかったと思いますが遅いときが多かったと思います。大阪市内の中学校なのですが少し郊外に近くて周りは田んぼばかりでした。ですから夜になると本当に真っ暗になるのです。今考えるとあんなに遅くまでいたのはラグビー部だけだったのかも知れません。ある真夏の夜にこんなことがありました。

「セイボー」はどうしたらこんなに真っ黒に日焼けするのかというくらい色が黒く、しかも顔だけでなく全身が黒いのです。その「セイボー」は練習が夜遅くに及んできたらジャージも何もかも脱いで素っ裸になってボールを抱えて走ります。ボールもこげ茶色で黒いのでセイボーの目と歯以外は全部闇に溶け込んでしまってよく見えません。これを試合で使えたら楽に勝てるのにとみんなで笑いました・・・それくらい暗くなるまで練習していました。そしてそれくらいセイボーは色が黒かったのです。

今の中学生でこんなことをしていたら先生にも親にも直ぐに叱られると思いますが、当時はそんなこともなく・・・いや少しはあったと思いますがみんなとにかく面白いことをやるのが大好きだったのです。運動靴の底が溶けるくらい暑い夏休みもヒイヒイ言って練習します。水道の蛇口から直接飲む水が無限に飲めたこと・・・ラグビー部以外いない雨上がりの校庭で泥だらけになって練習したこと・・・帰りしなに買って食べた5円のコロッケの美味しかったこと。。。

当時はテレビドラマの青春もののはしりだった「青春とはなんだ!」が始まった時代で夏木陽介が先生役でラグビー部員はほぼ全員不良という設定でした。ドラマの影響で最初はたくさん入部しましたが我々の学年で最後までいたのは10人くらいでした。ドラマとはほぼ全員不良というのも同じだし、ファンの女生徒もたくさんいていつも練習を見ていてくれたのも同じです。ついでにあまり強くなかったのも同じだけれどもめちぇくちゃ楽しい3年間でした。

男子中学生というのは子供から脱出して、しかし大人には程遠く、青春というには少しだけ若く、強いて言えば「男の仲間入りをしていこう」とする時代のように感じます。
ですからラグビーに打ち込んで泥まみれになって練習するのも好きだし、あだ名で呼び合っている男の世界も好きで、そんな時は女よりもラグビーやとか思っていながらファンの女生徒の前ではやっぱり相当気になって全部含めて「男」になっていく前段階のような気がするのです。

現在はそんなことはないのかも知れませんが、当時ラグビーボールは「つば」で磨いていました。ボールにつばをかけて女性用のストッキングで磨くのです。1年生の間はクラブが始まるまでにボールを磨き抜かないといけません。授業中も休み時間もピカピカになるまでつばを吐いてはストッキングで磨きます。
ある日、同じクラスのN君もボールを磨いていました。そして休み時間になってN君はようやくピカピカに磨きあがったボールを机の上に置いてトイレに行きました。そしたらN君が入学前から一方的に好きだったWさんがそのボールを見て「まあ、きれい」と感激してボールを持ったのです。そしたら周りにいた他の女生徒が「それ、N君がつばで磨いたやつやで!」と言いました。その途端Wさんは「キャッ」と言ってボールを放り投げました。彼女はラグビーボールを「つば」で磨くことを知らなかったのです。それを見たN君・・・放り出されて砂がついて汚れたボールを愛おしそうにまた磨き出しました。もしそれが私でも同じことをしたと思います。ですからやっぱりその瞬間は「女」よりも「ラグビー」だったのかも知れません。しかしN君は少し寂しそうだったので次の瞬間はどうだったのか・・・少し複雑ですね。
しかし一瞬にしても彼女よりも何よりもボールの方が大切・・・なんという純真な心・・・今ではもう忘れてしまった無垢な心を思い出して少し胸が熱くなりました。

先日、夕方に散歩していて近所の中学校でラグビーの練習をしているのを見ました。その時、過ぎし日のそんなことを思い出しました。当時は携帯もメールもありません。フェイスブックとかも我々の年代はほとんどしていません。N君とのみ年賀状のやり取りはしますがそれ以外はあの仲間とは連絡しようもありません。会いたいなあと思います・・・セイ、セイボー、メンチョ、ナマ、タウエ、ヤッチョ、クワイ、カワチ・・・ファンでいてくれたIさん、Nさん、Hさん・・・みんなどこへ行った?

今こうやって整体をしたり少林寺拳法をしたりしている自分というものの一部は、身体を激しく動かすスポーツとして・・・思い切り走ること・・・怪我で痛くても立ち上がること・・・チームとして一つになること・・・子供と決別して男の世界に入ること・・・そして女性への淡い憧れを持つこと・・・ラグビーしか記憶がないようなこの中学3年間の経験が大きく影響しているように思うのです。

青春とは何だ!・・・青春とはいいことも悪いことも思い切りやれるもの・・・だと思います。
いや今でも何かを思い切りやっていけばずっと青春なのかも知れません。
ただし今からはいいことだけですが。。。


2014年3月24日(月) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
2016.01.13 09:11
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永遠の冬ソナ

昔のブログです・・・


また観てしまいました・・・冬ソナ全20巻。先月の誕生日に下の娘が「完全保存版DVD」をプレゼントしてくれました。誕生日のプレゼントは毎年もらっているわけではなく、前にもらったのが何年前か分からないくらいなのですが今回は還暦ということでさすがに何か記念にと考えてくれたのだと思います。
これを書いていて思い出しました。去年の父の日に「マッサージ又はヘッドスパ券」を2枚もらいました。この券はお店のものではなく自作で、ヘッドスパも下の娘がしてくれるものです。直ぐに2枚使って誠に気持ち良く幸せな気分になったことを覚えています。でもそれと今回以外はほとんどなかったのです。もっとも小学生の頃はいつも自作の「マッサージ券」を貰いました。その券は切り取り線があって一枚の紙にたくさんあるのです。しかもそれを何枚もくれるのです。その券は今でもタンスの引き出しに隠してあります。何故なら有効期限が書いてないので使えるはず(?)だからです。
そういえば去年もらったマッサージ又はヘッドスパ券は「1回限り有効」と「有効期限」が書いてありましたっけ・・・。

話がそれましたが「冬ソナ」・・・私は大好きです。自分ではミーハーではないと思っていますが本当は結構ミーハーなのかも知れません。しかし、いい年をしたおっさんが言うのも変ですがあの透明感や心の動き・・・運命のいたずら・・・そういったものが音楽とともに登場人物と凄くマッチしていて観ていると「懐かしさ」や「ドキドキ感」、「もどかしさ」、それに「安心感」を覚えるのです。
冬をベースに展開されるストーリーは、多少(?)強引で不自然なところも結構あるのですがそんなことは問題ではありません。
昔、テレビで再放送されたときにビデオに撮っていてそれを何度も観ていたのですが、途中で切れていたり、何故かディスクではなくビデオテープで撮ったところもあって画質がかなり悪くもう一度再放送しないかなと思っていました。
しかし、これくらい何度も観ていると字幕を見なくても韓国語のセリフを聴いているだけでだいたい判るようになります。だから余計面白いのです。

以前、「【進化流水】魔のトライアングルからの脱出 (11)」で書いたように、どうやら私は同じものを何回も読んだり観たりするのが好きなようです。
本の場合は何度読んでも誰にもわからないのですが、冬ソナみたいにビデオとなるとなるべく一人の時に観ていても家族に見つかってしまうことが多く、「また観てる!」と言われます。
よくそんなに同じものを何回も観るなって言われますが、毎回同じように感動するし、たまには新しい発見をしたりするから楽しいのです。

同じビデオを何回も観る・・・同じ本を何回も読む・・・そのうちに無駄がなくなって見えない部分が見えてきて、それによって本筋が見えてくるように感じるのです。
少林寺拳法の修行でも同じような感じを受けます。技の違いはあっても根本になる「身体の使い方」は同じで、その同じことを繰り返していく中で無駄がなくなって技として洗練されてくるように思うのです。武道というものは本来そういうものだと思っています。無駄をそぎ落としていくと最終的には「普遍的な身体の使い方」だけが残ると思うのです。
そしてそれは整体でも然りです。同じことを繰り返すことで本質を見出すのです。
いつでも新しい発見があるのではありません。何回も何回も繰り返していく中でふと感じるものがあるのです。

「同じことを繰り返す」と言いましたが、正確には「同じもの」は二度とありません。
少林寺拳法でも同じ人にどんなに同じように攻撃してもらっても必ず毎回違います。ごく上辺で物事を見たら同じことのように見えるのですが、厳密には毎回必ず違うのです。同じことを延々と繰り返しているように見えるけれども厳密には毎回必ず違うことをする・・・そういうことが大切なのではないでしょうか。
整体で施術する場合でも全く同じだと思います。同じ症状でも人によって全て違います。それどころか同じ人でも毎回状況は違うのです。同じことをしているようでも厳密には違うそれぞれの状況を吸収しながら無駄を省いて本質に迫る・・・それが修練というものだと思うのです。

ですから「同じことを繰り返す」ということはとても大切なことなのだ・・・と言い訳をしながらきっとまた近いうちに冬ソナを観ることでしょう(笑)。


2014年3月13日(木) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
2016.01.06 12:13
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下手な絵

昔のブログです・・・


動物の絵を描いたときなんかに凄く下手で変になってしまう人っていますよね・・・実は私がそうなんです。「下手で変」っていうのも人によって感覚は違うかも知れませんが、例えば左向きに真っ直ぐ立っている馬を横から描いたとき、私が描くと馬の「顔の輪郭」はもちろん「横顔」なんですが「顔」は「こちらを向いている」みたいになることです。それに前脚と後脚も向う側の脚は当然向う側にあるはずなのに、四本ともこちら側に並んでいたりするのです。以前にテレビでそんな絵を描く芸能人がいてその人の馬の顔には「眉毛」がありました。私はさすがに眉毛までは描きませんが、描いてしまうその気持ちはよく分かります。

探せば身近にそんな絵になってしまう人は結構いるのかも知れませんが、不思議なのは私は小学校1年生から二十歳くらいまでずっと絵を習っていたのにそうなることです。最初は水彩画ですが6年生くらいから油絵になりました。決して上手くはありませんがその時に描いた絵では特に下手ということはありませんでした。でもちょっと紙に動物を描こうとしたとき、絵を習っていた時も今もいつでも変な絵になってしまうのです。何故なんでしょうか。

絵はわりと真面目に習っていました。それどころか大学受験の時期には何と真剣に美大に行こうかと思ったこともあるのです。結局小さいときから思っていた船乗りなるために美大には行きませんでしたが・・・「行きませんでしたが」と言えば聞こえがいいですが総合的な実力として絶対に行けなかったと今では分かります。

今でもよく覚えています。絵を習い出して直ぐのとき、機関車の絵を描きました。凄く重そうで力強い感じの機関車をクレヨンと絵具で画用紙に目一杯描いていると全然収まらなくなったのです。そうしたら私の絵の先生は右側にもう一枚画用紙をセロテープで貼ってくれます。それでまた続けて描いていたら今度は上側が足りません。そうしたら先生はまた上側にも画用紙を足してくれます。そうやって結局四枚の画用紙に思う存分描いたのです。
多分、この絵は今まで私が描いた中で一番いい絵だったと思います。

型にはめない・・・自分の描きたいように描く・・・何色を塗ってもいい・・・きれいに塗ることよりも塗りたい気持ちそのままに塗る・・・足らないなら紙なんかいくらでも足して描けばいい・・・その先生はそんな指導方針でしたので私でも続いたのだと思います。この経験が私には凄くいい影響を与えてくれたと今でも思っています。絶対にこうしろああしろとは言わないその先生には仲人もしてもらいました。

人間には「右脳」と「左脳」があります。左脳は論理的なことを、右脳は感覚的なことを主に受け持っています。私はかなり「右脳人間」ですがそれは絵を習ったことの影響が凄く大きいと思っています。
今、自律神経に関する整体をするようになってよく思います・・・人の身体の「心」も含めた見えないものを相手に施術する・・・そこには感覚に結び付いた想像力が必要です。いや整体だけではありません。ずっとやっている少林寺拳法にしても私の場合は身体感覚は全て「右脳」で処理をしていると思うのです。
「右脳人間」であることは間違いないのですが、よく考えると「左脳」があまりにも働かないことも「右脳」が目立つ理由なのかも知れません。何故なら完全に文系のタイプなのに船乗りになるために理科系に行かざるを得ず、そこでやる数学や物理すら「右脳」でやってきたと思います。だから全然わかっていません。わかってないのにできるのは「左脳」でやってないからなのです。

でも私は「右脳人間」で良かったと思っています。今、自分の情熱をもってやっている整体も少林寺拳法も私には「右脳」の方が上手く取り組めるからです。
動物を描いたとき、なんで下手で変な絵になってしまうのか・・・その辺の秘密は「右脳」にあるのかも知れない・・・そんなことをいつも思っていたのですが、先日施術した方と話をしていてふとこう思ったのです。下手で変な絵になるのは、私の右脳の中であの時の機関車に結び付いているのではないかと・・・説明は難しいのですが何故か明確にそう思ったのです。だから下手でも変でも自分の感性で描いたものはいい絵なのだと・・・今までのいろんなことで培った自分の感覚にもっと自信を持とうと思いました。

動物の絵を上手く描ける人は「何でそんな変な絵になるの?」と言います・・・でも逆にその人に私は言いたい・・・「あなたは一生懸命に下手で変な絵が描けますか?」と。。。


2014年3月10日(月) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
2016.01.06 12:12
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冬のトラウマ

昔のブログです・・・


まだまだ寒い冬だと思っていたのですがやはり2月は短いですね。気がついたら3月に入っていて、今日などはそんなに寒くない一日でした。過ぎ去ろうとしている冬に遅れないように今日はあわててこんなことを書いてみようと思いました。

冬は寒いものです。私が住んでいる大阪では寒いと言っても北国の寒さからみたら「春」みたいだといわれそうですが、それでも寒いのです。今でも朝起きようとは思うもののもう少し蒲団の中にいたい気持ちが背中を丸めさせます。しかし昔・・・少なくとも私が小学生の時はずっと寒かったのです。

毎年冬になると「寒い、寒い」と言いながらも昔に比べたら随分暖かい冬になっていると思います。やっぱり地球温暖化は確実に進んでいるのでしょうね。
小学生の頃は大阪市内でもまだ全てが舗装された道ではなく、土の道もたくさんありました。それで当時は排水の性能があまり良くなかったのでしょうか、水溜りがあちらこちらにありました。そうすると寒い冬にはその水溜りは必ず凍って、大きな石を叩きつけないと割れないくらい厚く張ります。当時の小学校は石炭ストーブだったので、割った氷の大きな欠片をストーブに乗せてジュージュー言わせるのが面白かったのです。もちろんストーブに氷を乗せるな!・・・といつも先生から言われていたので見つかったら凄く怒られますが。

ストーブ当番に当たると二人一組でバケツをもって石炭置き場から石炭を運びます。そしてスコップでストーブに入れて火をつけます。今から思うと大きなストーブで火力も強いので危ないものだったのかも知れませんが、暖かいだけでなく何となく冬のストーブは教室の中心になってみんな集まっていました。氷を溶かすのも面白かったのですが、水溜りにはまってぬれた運動靴を友達がストーブの近くに置いて乾かしていたら知らない間に運動靴は思い切りそっくり返ってしまってみんなで大笑いしたこともありました。

今は土の道などまず見当たりませんし、ましてや水溜り自体がありません。朝顔を洗うときの給湯器から出るお湯がなかなか温かくならないことなどで冬の寒さは感じますが、目で冬を感じることは少なくなりました。暖かい冬は暮らしやすいのかも知れませんが「冬らしさ」が無くなってきたとも思うのです。地球温暖化によって南極の氷が溶ける・・・それによって海水面が上がる・・・そうすると気象変動もあって「冬らしさ」などと優雅なことを言っている場合ではないのかも知れません。

寒い冬は人を集めると私は思います。「集める」というのも変な言い方ですが、暑い夏は発散するような感じがし、寒い冬はみんなが「寄り添う」ように思うのです。寒いからあまり動かない・・・ストーブにみんな集まる・・・炬燵にみんなで入る・・・居眠りをしていたら「寒いやろう」と毛布をかけます・・・寒い方が人は優しくなるのではないでしょうか。
きっと「身体」が寒いと「心」がその分暖かくなってバランスをとっているのかも知れませんね。

いまでも冬になると必ず一度は思い出す忘れられないことがあります。
それは小学校の池が凍った凄く寒い日、授業が始まる前に友達と池の氷の上を歩いて渡っていました。一人、二人・・・私は三人目です。みんな池の向こう側まで歩いて戻ってきます。そして四人、五人・・・その時です、バリッと氷が割れて五人目のU君がズボッとはまってしまい池の底に沿って潜っていきます。みんなびっくりしたのですが、結局U君は無事に引き上げられ事なきを得ました。助かった後はU君も含めてみんなめちゃくちゃ笑いました。でもその日U君がそれからどうしたのかはよく覚えていません。ひょっとしたらあのストーブにズボンとかパンツとかを干していたのかも知れませんね。

この事件は全体としては面白い出来事ではあります。しかし中学生になってから何故か面白さの中にほんのちょっと心に引っかかるようになりました。それはU君がはまったことよりも私が渡り終えて上がる直前に氷が少し「ミシッ」と鳴ったように感じたことです。本当に鳴ったのかは分かりません。でも鳴ったように感じたのはよく覚えています。みんな次々に渡っていたので実際は注意する間もなかったのですが、もしその時即座に注意をしていたらU君ははまらなかったのではないかと。。。

半世紀も前の話です・・・もう時効ですよね・・・でもこの場を借りて・・・U君、ごめん!


2014年3月1日(土) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
2016.01.06 12:11
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恐怖のラジオ体操

昔のブログです・・・


「ラジオ体操」は誰でも知っていると思います。年をとると正確には覚えてなくてもラジオ体操の曲がかかると大抵思い出して出来るものです。子供からお年寄りまで誰でもできる・・・そのラジオ体操が実に怖いものに感じた話です。

船乗りのなるために入学した神戸商船大学(今は神戸大になっています)では船に関する色んな学問も当然あるのですが、体育の授業がかなり厳しいのです。特に1年生の夏には「遠泳」の実習があって淡路島にある専用施設で1年生全員で合宿するのです。そこでは立ち泳ぎや浮き身などもしますが最終的には「2時間の遠泳」があります。横約5メートル、前後約2メートルの2列縦隊で2時間泳ぐのです。それで1単位・・・でも必須なので取れないと卒業できません。

夏の遠泳合宿に行く前には寮にあるプールで水泳授業があります。歩いていける距離ですが寮は学校から離れていますので、水泳の授業だけは体育の教官が寮に来ます。授業では泳力に応じて帽子が分けられます。まともに泳げるのが白帽、泳げるけれども泳ぎ方が少し悪ければ黄帽、あまり泳げないと赤帽です。白帽はその中でも泳力の優劣で白帽Aと白帽Bに分けられ、さらに白帽Aの中からスピードが速いと黒帽になります。それで黄帽、赤帽になってしまったら夏の遠泳合宿の前に毎朝6時から特訓があるのです。夏とはいえ朝6時は寒いのです。幸い私は白帽Aだったのでこの特訓は受けずにすみました。

そんな大学でしたので体育に対しては結構厳しいのです。
ある日の体育の授業で「今日はラジオ体操をやるぞ!」と教官が言います。誰もが「ラジオ体操?そんなん運動のうちに入らんわ」と思いました。「ラジオ体操第一」・・・こんなの出来ないはずもなく皆そんなに緊張することもなくやり始めます。
そしたら少しした時、教官が「止め!もとい!」と言います。「もとい」というのは最初からやり直しという意味です。で、また最初からやり始めます。そしたらまた直ぐに「もとい!」と言います。「何?」と思いましたが教官曰く「きっちりと腕が上がっていない」とのこと・・・そう、腕を上に上げる時でも腕は極限まで真っ直ぐにして両耳に触れるまで伸ばすことを要求するのです。「始め!」・・・「もとい!」・・・「始め!」・・・「もとい!」・・・

もう誰も「ラジオ体操くらい」と馬鹿にしている余裕はありません。全員で一生懸命腕も伸ばして続けます。しかし一人でもきっちりと出来ていなかったら教官は躊躇なく「止め!もとい!」と言います。そしたらまた最初からやり直しです。しんどいからと自分が少しでもいい加減なことをすると皆に迷惑がかかるのです。だから手を抜けないのです。

本当にきっちりやることを前提とした連帯責任的な「ラジオ体操」は本当に恐ろしいのです。体育の授業は確か1時間半はあったと思います。正確なことはもう忘れてしまいましたが結局、その授業での「ラジオ体操」は「第二」の最後まで出来なかったように思います。
ラジオ体操を侮ることなかれ、それは恐怖の体操になり得るのです。

ラジオ体操に限らず、「質」のレベルを少し上げると途端に難しくなるのです。しんどいから・・・邪魔くさいから・・・ある程度できてくると人は適度なところで楽にこなそうとします。「楽にこなすこと」は別に悪いことではありません。しかし少しでも「質」を上げていくことは大変重要なことなのです。
整体でも少林寺拳法でもついつい「量」をこなして「よくやった」と思いがちです。しかし本当は「質」を上げるための「量」なのであって、そのことによって真に「質」が上がらないのならば本当の価値には結びつかないのだと私は思うのです。

さっき、ちょっと肩が凝ったので気まぐれにやってみた「ラジオ体操」・・・いつの間にか目一杯背筋を伸ばして腕も耳につけてやっています・・・きつい!・・・でも今は怖くはありません(笑)。


2014年2月23日(日) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
2016.01.06 12:10
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薬缶の使い道

昔のブログです・・・


先日、ある駅の片隅に大きな薬缶が置いてありました。今はもう普段は目にしませんが昔はよく薬缶というものに接する機会がありました。大きくて金色をしたあの薬缶です。大学の乗船実習でも食堂にはいくつか必ずありました。その時の話です。

薬缶は水を入れてそのまま火にかけることが出来ます。麦茶などを大量に作るときは便利ですね。それで何年のときの実習かは忘れましたがその船にももちろん薬缶が備えられていました。経験した人しか分からないかも知れませんが、乗船実習中はとにかくお腹が減るのです。航海で揺れまくって船酔い真っ最中のときは全く食欲がなくなるのですが、あまり揺れないときや停泊中は凄くお腹が減るのです。でも誤解なきよう、航海訓練所の船ではもちろん3食ちゃんと出してくれますし、夜中の航海当直では夜食も出ます。特に遠洋航海の時は予算が変わるのか結構豪華な食事が出ました。しかしそれでも夜になるとお腹が減るのです。

それでどうするかと言うと、ほとんど例外なくみんなインスタントラーメンを大量に買い込んでいます。時代的には湯を入れるだけで出来るカップラーメンはあったと思いますが、値段が高いのです。それでみんな鍋で煮るタイプのものを買ってくるのです。
今は知りませんが当時の訓練船は自分でラーメンを作るときは電熱器を使います。電熱器と言っても家庭で使うようなのではなく蚊取り線香の何倍も太い渦巻状の大きな電熱でした。とにかくそれでラーメンを作るのですが、作ろうとする人数に比べて圧倒的に鍋が足りません。順番をまっていたら中々食べることが出来ません。そこで私達3人はあのでかい「薬缶」で3人分のラーメンを作ったのです。

無事ラーメンを作って美味しく食べたのですが、食べ終わるころに仕官から薬缶をそんな使い方をしたことについて強烈に叱られました。その仕官の部屋に3人呼び出されて「お前らがそんな使い方するから薬缶が痛むんや」、「常識で考えろ」・・・と凄い剣幕です。
もちろん直立不動で「すみません」と誤るのですが、強烈に叱り続けるのです。やがて「非常識な奴は・・・」・・・多分、「船にはいらん」と言おうとされたと思います。その時です。3人のうちの一人が「鍋がないときに薬缶を代わりに使って目的を達するのはマリンエンジニアとして必要なセンスだと思いました」・・・あろうことか口答えしたのです。
仕官はしばし沈黙した後、前の何倍もの怒鳴り声で叱りつけてきて最後に「薬缶の茶漉しの穴とか隙間にラーメンがほんの少しでも残っててみろ、ただじゃおかんぞ」と。

その後、3人は「ひえー」とばかりに部屋をでて、それこそ薬缶が擦り切れるくらい洗いました。そして3人で絶対にラーメンが残ってないかを入念にチェックして、きれいに拭いて再びその仕官の部屋に薬缶を見せに行きました。
そしたら仕官は薬缶を点検して即座に「よし!」と一言いました。そしてニッと笑って自分が持っているラーメンを3つ手渡しながら「行ってよし!」と言いました。
航海訓練所の仕官ですから我々の大学の先輩です。何と男らしい人やなと思いました。
マリンエンジニアのセンスがどういうものか、本当のところはよく分かりませんが、あの口答えにも一理があると先輩は考えてくれたのだと思います。

ふと見た薬缶からそんなことを思い出したのですが、マリンエンジニアのセンスを出すことも、正しいと思うことを言うことも、怒り心頭にきていても相手の一理を認めることも・・・そして済んだことをぐだぐだ言わずに歯切れよく事件を終わらせることも・・・全て大事なことだと思います。きっとその先輩は「信頼できる自分」というものを根本に持っていると思うのです。「信頼できる自分」を持っているということは自分の言葉と行動に自信をもっていることに加えて相手の気持ちを推しはかることができるということです。

私は整体と少林寺拳法を共に大事にしています。
「信頼できる自分」になるための一つに少林寺拳法があって、そこでは「弟子もまた師なり」とよく言われそのことはいつも実感しています。そして「自分を信頼」できなければ整体は出来ないと思うのです。今回は「薬缶もまた師なり」・・・かも知れませんね。


2014年2月18日(火) 進化流水…流れる水は滞らず、健康への進化を共に歩む
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